しかしこの競走は審議
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人事院勧告 1998/1/30

 財政難の大阪府は今年度の人事院勧告を1年間凍結。府庁の職員をはじめ、公立の小・中・高校の先生や警察官など、府の公務員の給与のベースアップをゼロにした上、さらに定期昇給も2年間先送りを検討中なんだそうな。

 人事院勧告というのは、ニュースで耳にする割には「何のことかよ〜わからん」代物だが、わたしの知ってる限りで説明しよう。もともとサラリーマン(=労働者)は、自分たちの労働条件を改善させるために、労働組合を作ったりストを打ったりする権利が憲法で認められている。が、「現実の問題として警察官や消防士にストをやられたら困る」という口実で公務員にはこの権利が制限されている。しかし「それじゃ憲法違反じゃね〜か」ということになるので、代替措置として人事院という独立の役所が、民間企業の給与相場を調査した上で「世間の相場はこんなもんだから、役人の給料もこれくらいにせえ」というのが人事院勧告なのである。

 したがって、この人事院勧告をチギって給料を値切るっていうのは、ゼニカネの問題以前に日本国憲法に関わる問題なのだ。そもそも大阪府の財政難は「りんくうタウン」だの「コスモポリス」だのでさんざん無駄遣いした上でのこと。オエラ方ならいざ知らず、ヒラの職員とか学校の先生とかにシワ寄せすんのはちょっと違うんとちゃうか>横山ノック知事殿

 そういう意味では「あるべき姿」なのが、岸和田のお隣にある貝塚市。ここも財政は火の車。そこで、ここの市役所では管理職だけボーナス一律カットしたんだそうな。財政難の責任を、オエラ方から順番に背負ったわけだ。ま、「そんなもん民間企業でも普通じゃ」と言えばそれまでだが、ここの場合は無駄遣いとかではなくて、単に不景気による財政難。こちらはちょっと同情の余地あるなあ(笑)。

 

 この2月1日(日)より岸和田競輪場ではS級シリーズ石田雄彦杯が開催されますが、実はこの開催の胴元は貝塚市。赤字再建団体転落寸前の貝塚市が背水の陣で臨みます。みなさん、不憫に思ったら車券を買ってあげましょうね。


1月17日 1998/1/17

 わたしが被災地の救援を手伝いに入ったのは、震災から1ヶ月ほど後のことだった。

 梅田から途中まで復旧していた阪神電車に乗る。車窓をみていると甲子園を過ぎたあたりから被害が大きくなる。わたしには甲子園に住む親戚がいるので、ここまでは震災直後に何度か行ったのだが、ここより西は震災後これが初めてだった。

 崩れた住宅。突然無くなる高速道路。正直言って奥尻島の地震の時には、気の毒に思いながらも「どこか遠いところでの出来事」というイメージだった。しかし、今回は自分自身が何度も通って知っている街が道路が無惨な姿になっているのだ。ショックを受ける。

 さて、わたしが手伝いに入ったのは芦屋市。ここでは、とある高校の体育館とグラウンドが救援物資の集配センターになっていて、ここに手伝いに入ることになったのだ。

 体育館内には衣類や毛布が山積みになっている。手前にはインスタント食品の山。芦屋市の職員とボランティアグループのリーダー格の人が在庫管理に追われていた。どの避難所が何をどれだけ必要としているのかをこの人たちが管理し、わたしたち応援組が実際に物資を運搬するのだ。

 「本来、こんな災害被災者の援助なんてものは行政がやるべき仕事です。でも実際には、市役所の職員には"明日はどこまで復興するのか"ということを考えてもらう必要があります。だから"今日の生活をどうするか"という仕事は我々ボランティアが引き受け、市役所の人には復興に専念してもらうんです。」こんな意味のことを、ボランティアグループのリーダーの方がおっしゃっていた。

 マスコミで「避難所では何が足りない」と報道されると、数日後には足りないと報道された品物が全国から大量に送られて来るという。しかし、ここではもう使われないであろうと思われる物資が、体育館を占領している。それを1日に何回かゴミ焼却場へ処分しに行くのだ。例えば、どこかのグループが集めたのであろう、手編みの帽子やセーターに被災した人への励ましの手紙を添えたものがあった。きつい言い方をすれば送った側の自己満足に過ぎない。全国から送られた「救援物資」が、あまつさえ震災でダメージを受けたうえ、瓦礫の処分でパンク状態の被災地のゴミ処分場へ運ばれていく。

 芦屋の市役所にも行った。元々はすごくきれいな庁舎が鉄火場と化していた。ロビーにも廊下にも被災者があふれている。1階だけかと思ったら最上階まで被災者が寝泊まりしている。市役所の業務にも支障を来しているのがはっきり分かる。ボランティアのリーダーの言葉とはうらはらに、市役所では今日1日の生活で精一杯だった。職員の方がおっしゃっていた「とにかくお金がない。避難所に物資を供給するのも仮設住宅建てるのも、財源の裏付けさえできればもっと早くやれるのに。」芦屋市と言えば財政的には全国的に見ても裕福な部類に入る自治体、その芦屋市ですらこのセリフ。もし自分が住む街でこんな災害があったらどうなるのだろう。

 大きな災害はいつどこで起こるか分からない。でも被災地にモノを送るのはいい加減やめませんか? 今、何が必要かを1番よく知っているのは被災地の人たち、お金さえあれば必要なモノはそろう。人手さえあれば被災者の元に届けられる。お金を送ろう。ボランティアに出よう。そう思って芦屋を後にした。


ラストステージ 1997/12/14

 昨日は母校の吹奏楽団の定期演奏会だった。今年も舞台に立つことができた。

 例年11月ぐらいに、現役の団員から突然電話が掛かってくる。 「先輩、今年も定演出ていただけますか?」 この電話の日から、演奏会当日まで約1ヶ月。週末は学生時代に返ることができる。

 学校を卒業して6年。わたしの場合、大学4回生で部活を引退したあと1年留年してるのでOBとしては7年。正直言って演奏技術は下手になるばかり。おまけに私が4回生だったときに1回生だった後輩もとっくに卒業してしまい、現役生とのジェネレーションギャップは広がる一方。数年前から「もう声をかけて貰えるのも今年で最後かも知れない」と思いながらの出演である。

 後輩からの電話に2つ返事でOKしたあと、押入の奥に埋もれているクラリネットを取り出す。こいつ全然手入れできてないなあ、いつドとレとミの音が出ないことになっても不思議ないよなあ。

 さて演奏会に出ると返事をしたからには練習しなきゃいけないのだが、ぜんぜんその暇がない。楽器に触れるのは去年の演奏会以来11ヶ月ぶり、現役よりずっと練習が必要なのだが、家の中で練習するわけにいかない(すごい騒音公害だろな、そんなことしたら)。日曜日は、競輪も電話投票で我慢して、大学まで車で往復2時間かけて練習しに行く。でも、長時間は練習できない。長時間練習すると、すぐ指にタコができたり唇が切れたりしてしまう。ああ、学生時代はこんなこと無かったのに。もう若くないなあ。

 高校生のときに初めてやった演奏会。あのときの感動が忘れられなくて今まで続いてきたけど、もうあの頃ほど熱くなれないなあ。高2や高3の時にやった曲は今でも覚えてるのに去年の演奏会でやった曲は全然覚えてないもんなあ。

 アンコール曲が終わって、舞台の照明が消える。今年の定期演奏会が終わった。楽屋に戻って楽器を片づける。いつもの片づけよりは少し丁寧に・・。現役たちはこれから打ち上げコンパが始まるのだが、もう一気飲みなんかやれるトシじゃないのでわたしは早々に切り上げ。また来年、こいつとステージに立てるのかな。それともラストステージになってしまうのか。

 学生時代ほど吹けなくなってしまったけど、後輩たちに声をかけて貰える限りは続けたい。なにしろ、これが無くなったら、趣味と呼べるものがいよいよギャンブルだけになってしまうもんなあ。


投票へ行こう 1997/11/30

 今日は、岸和田市長選挙の投票日だった。

 実は、わたしには選挙の度に投票・開票事務という仕事がまわってくる。今回は、わたしたちが払った税金とテラ銭の使い道を決める人はこうやって選ばれるというお話。

 投票日の当日は、早起きの苦手なわたしも朝6時半に出勤。わたしの担当は岸和田市内の某中学校。投票箱や記載台の設営をし、7時からの投票開始に備える。ラジオの時報が7時ちょうどを告げれば開場、立候補者にとっては運命の1日の始まりである。

 仕事の中身は、訪れる有権者の名簿を確認して投票用紙を渡すというもの。誰でもできる仕事なのだが、全部を学生アルバイトに任せてしまうわけには行かないらしい。朝の7時から夕方6時までの11時間、忙しかろうが暇だろうがその場でじっとしていなければならないのだがこれが長い。投票所によっては冷暖房設備のあるところもあるのだが、わたしの担当の中学校の体育館には空調設備など一切無し。体育館の中なんて夏は暖房、冬は冷房。まだ今回の選挙は11月のこの時期だからそう苦にならないが、来年の参院選は7月。地獄だ。(しかも、来年からは投票が夕方8時までになるらしい)

 投票が始まってからしばらくすると、今日の日当が分配される。投票事務の日当はいつも即日現金払い。わたしの場合はどうせふるさとダービー観音寺あたりで溶けて無くなるのだろうが、家庭持ちのサラリーマンにはこの現金は貴重なへそくり財源らしい。金も貰ったしもう帰りたい。今日は岸和田の開催日なんだけどなあ・・。

 投票所にはいろいろな人が訪れる。高齢の方や身体に障害のある方が、人の何倍も時間をかけながら、おぼつかない手つきで一生懸命に意中の候補者の名前を書いている姿を見れば、こんな人たちの思いが政治に反映されたらいいのになあと素直に思う。あと個人的には小、中学校時代の同級生に会えるのは楽しみだ。お互い近くに住んでいるはずなのに投票所でしか会わない人って結構何人もいる。会えてもこちらは仕事中なので世間話をするわけにはいかないのだが、「ああ、あいつも元気にやってるな」と思うとホッとした気分になる。

 有権者の政治への無関心が危惧されるご時世、岸和田も例外ではない。天気がいいと行楽に出かけてしまうし、雨が降ると出かけるのがおっくう。曇りの日がいちばん投票率が高くなるというのが現実。正直言って投票率が低い方が仕事はラクなのだが、明日の政治より今日の天気が優先してしまうのもどうかと思う。ま、無理に投票に行って訳のわからないままタレント候補に1票入れてしまうくらいなら、棄権する方がマシだけどね。

 さて投票時間も夕方の6時で終了。投票所を片づければやっと終わりだ。が、投票はほんの1次会。90分後には開票作業が待っている。

 実は、岸和田市での開票作業はすべて競輪場で行われる。岸和田の特観席に入ったことのある方なら、特観席2階のバンクとは反対側に、簡単なステージを作って場内実況アナとスポーツ紙の記者がレース解説をやっているホールがあるのをご存じだろう。あそこで開票作業をやるのだ。

 投票所から直接、開票所へ向かう。そこは勝手知ったる岸和田の特観席、まずはドリンクコーナーでお茶を一杯。いつもはここでお金を無くしているわたしだが、今日はタネ銭稼ぎモードだ。ところで今日の10Rは・・。げ、岐阜コンビでワンツー、予想大当たり。が、今日は朝6時半から夕方6時半まで拘束で電投打つヒマが無かった。買えないときの予想はよく当たるなあ。

 開票作業が始まる前に、夕食として仕出し弁当が配られる。この弁当代ってかの有名な食糧費から支出されているのだろうか。でもこのお弁当、魚貝類嫌いのわたしにはあまり嬉しくないおかずが多いんだよな。

 さて、お弁当を食べ終われば落ち着く暇もなく開票作業の始まり。そりゃ、わたしだって1人の有権者として自分が1票を投じた人が当選して欲しいのは人情なのだが、今日この時点ですでに12時間以上働いている今となっては、もうそんなことはどうでもいい心理状態。開票作業は公正かつ迅速に行われる。

 マスコミの開票速報は年々進歩している。今日は地方選挙だからマスコミの扱いも小さいが、国政選挙の時などは、出口調査の結果をもとに統計学の手法を駆使し、当選確実がやたら早くわかる。マスコミ関係の方々にお願いしたいのだが、当選確実の報道はもう少し待ってもらえないだろうか。そりゃ少しでも早く結果を知りたいというのは視聴者のニーズだというのはよく分かるのだが、開票率1パーセントでもう当確なんか出されたら残り99パーセントを数える気力が・・。

 当日の投票率にもよるが、わたしが帰れるのはだいだい夜10時頃。国政選挙の時は家に帰ってTVをつけるとほとんど大勢は判明していて、評論家が今後の政局について好き勝手にしゃべっている。それを見ながらそのまま寝てしまうというのが、わたしのいつものパターン。長い長い1日がやっと終わった。しかし、明日が月曜日というのはつらいなあ、マジで。

 ちなみに今日の日当は270枚。この金額の多寡については有権者のみなさんのご判断によるところ。しかし、この日当からもバッチリ源泉徴収されるあたりはさすがお役所やなあ。


だいっきらい! 1997/9/18

 わたしは魚貝類が苦手だ。

 決して食べず嫌いではない。食べようと努力はしてるのだ。が、とにかく口に合わない。まだ魚の中にはなんとか我慢すれば食べられるものもあるのだが、エビやカニのような脊椎動物未満の下等生物に至ってはからっきし駄目である。

 日本社会の中で、魚貝類嫌いははっきり言ってかなりの損だ。忘年会、歓送迎会、慰安旅行など、職場のつきあいで宴会のあるときはたいてい魚貝類がメイン。岸和田ではだんじり祭りの時にはカニ料理と相場が決まっているのだがこれも駄目。お寿司も玉子とキュウリ巻きと稲荷しか食べるものがない。わたしは何か宴席のある度に食糧難に陥る。

 わたしは海があまり好きではない。かれこれ高校生の時以来海で泳いでない。高校生の時にあった水泳訓練ではむしろ上級の組に入れられたくらいなので、決して泳げないわけではない。でも潮の香りが好きになれない。釣りにも興味がない。これもきっと魚貝類嫌いの影響に違いない。

 なぜ魚貝類が嫌いになってしまったのだろう。わたしの両親は魚貝類も食べる。私が特に嫌いなものを挙げてみると、海老・蟹・イクラ・鯛(タイ)・刺身・数の子・・。おいおい、なんだか値段の高いものばかりじゃないか。ひょっとして養育費を浮かせるための、わたしの両親の計画的犯行じゃないだろうな。

 魚貝類嫌いを直す最大のチャンスは小学校の給食だったはずだ。担任の先生には「好き嫌いしないで残さず食べなさい」と口うるさく言われた覚えがある。学校給食には魚も出たしエビフライの日もあった。なぜこのときに直らなかったのだろう。

 普通の子供にとってエビフライは大好物。欠席した子がいて給食のエビフライが1人分余ったりした日には、クラスの男の子のジャンケン大会が始まったものだ。わたしがエビフライが嫌いでも、クラスメイトにおすそ分けすればみんな喜んで食べてくれたのだ。現在、わたしが「我慢すれば食べられる」魚貝類と言えば、ブリ・塩シャケ・白身魚のフライ・・・。これらは給食でも出されたものばかりじゃないか。う〜む、学校給食おそるべし。

 このままではいけないとは自覚している。一応、魚貝類嫌いを直す努力はしようと思っている。そういえば、最近たこ焼きのタコは食べられるようになった。これで少し1人前の大阪人に近づけたか・・・。さて、わたしがカニ雑炊を食べられるようになる日は来るのだろうか。


甲子園へ行きたい

 と、いっても競輪場ではなく高校野球のお話。

 わたしは子供の頃から高校野球が好きだった。それも野球を「見る」のが好きで、甲子園が始まるとずっとテレビ観戦だった。そんなわたしが高校生になったとき、クラブ活動にブラスバンド部を選んだのも「スタンドでコンバットマーチを吹きたい」と思ったからだった。

 ところで、高校野球の大阪地区大会ではブラスバンドによる応援は禁止されているのをご存じだろうか。主な予選会場になる日生球場や藤井寺球場が住宅地の中にあり、近所迷惑になるというのがその理由らしい。つまり「スタンドでコンバットマーチを吹く」ためには、母校がわたしの在学中に甲子園出場を果たさねばならない。

 グラウンドを駆けめぐるクラスメイト。その一投一打に声援を送る応援席。グラウンドとスタンドとの一体感。そしてその舞台が甲子園なら何もいうことはない。が、その夢を叶えるすべはなかった。なにしろわたしが高校生だった当時、大阪地区にはあのPL学園に桑田と清原がいたのだ。

 わたしの「スタンドでコンバットマーチを」という希望は、大学で実現することになる。とある地方の大学に進学したわたしは、高校時代の延長でブラスバンド部に入っていた。そのブラスバンド部に、地元の高校から「自校にブラスバンド部がないので友情応援をお願いしたい」という依頼が来たのだ。

 高校野球地方大会。グラウンドを駆けめぐる球児たち。その一投一打に声援を送る応援席。グラウンドとスタンドとの一体感。私が応援したのは、それまで名前すら知らなかった高校である。それでも熱くなった。感動していた。2回戦で負けてしまったが、わたしは満足だった。

 その次の夏、わたしにビッグチャンスが訪れる。その年もまた同じ高校から友情応援の依頼があった。すると驚いたことに今年はこの高校が予選大会のシード校だというのだ。にわかに信じられなかった。でも応援に行ったら確かに強い。あれよあれよと勝ち進み、みごと地方大会初優勝を果たしてしまった。やった、甲子園へ行ける!

 そのころ、わたしはアルバイトで学習塾の講師をしていた。学生にとって、時給はいいけど休めないアルバイトである。なんとか2回戦以降は都合をつけたが1回戦だけはどうしても休みが取れない。1回戦さえ突破してくれれば後は決勝戦まで予定をあけてあったのだ。しかし・・・。

 わたしはあこがれの甲子園を、8600円也のアルバイト代と引き替えにしてしまった。