しかしこの競走は審議
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身の回りのビッグバン  1998/5/13

 職場に突然、わたし宛に外線から電話が入った。

「●●高校OBのじゅんさんでいらっしゃいますね?」
「はい、そうですけど」
「突然のお電話で失礼します。私、○○○(なんかカタカナの会社名)の××と申します。このたび、私どもの会社で●●高校OBの方を対象に、新規店舗開設の御挨拶をさせていただいておりまして・・」

高校・大学の卒業名簿って、この手のセールスによく使われるよなあ。

「これまで、1口500万円ということで個人の方にはなかなかお薦めしにくかったのですが、このたびの金融ビッグバンで1円からお薦めできるようになったんです。おかげさまで、昨年の私どもは運用実績年率40%を達成することができまして・・」

 あたしゃ普段から3分間で10000%って運用をもくろんでるのだが・・。そりゃ、実際に達成できたためしはないけど。

「こう申し上げると他の方には、今の時代にどうやって40%もの運用益を出すのかと問いつめられることもあるのですが、実は私どもが運用しているのは大豆なんです」

大豆の先物のセールスは初めてやなあ。もちろんお断りしたけど。

 

 世間では金融ビッグバンなんだそうだ。今日も大手銀行と大手証券会社が業務提携したニュースが流れている。が、カタギのわたしにはよ〜分からん。何が変わったんやろ。どうせ元本の少ないわたしにとっては、運用実績で競争するより、1回日曜日にお金を引き出すだけで利息より高い手数料取るのをやめてくれたほうがよっぽど嬉しいんだけどね。
> 金融機関 殿


今晩なに食べよ  1998/3/12

 うちのHPでリンク張らせていただいてる方って、一人暮らしで自炊されてる人多いですよね。中にはそのへんの主婦より、よっぽど料理上手な方もおられるような・・。手料理の上手な人というのは男性女性に限らず素敵だと思います。それも「フランス風なんとかかんとか」なんて舌を噛みそうな料理ではなく、冷蔵庫の残り物で作ってしまうような料理の上手な人。そんな人に憧れるなあ。

 そういう自分は自炊歴2年半。親元を離れる前は、自炊すれば少しは料理も覚えるかと思ってたのだが、全然レパートリーは増えないまま今まで来てしまった。今日も、ご飯とお味噌汁以外はスーパーのお惣菜コーナー。去年奮発してオーブンレンジを買ったものの、オーブン機能で使うのはトースターだけ(レンジは大活躍だけど)。栄養計算付きお料理レシピなんてパソコンソフトを買ったことがあるが、もうハードディスクからも消してしまった。これじゃいかん

 一人で自炊してて困るのが残業の続いたとき。買い物に行けない。前の職場では"主婦"のみなさんが生協で共同購入をやっていたので、それに便乗させて貰うという手があったのだが、今の部署に異動して以来その手も封じられてしまった。わたしの場合通勤片道5分に助けられる部分はあるのだが、遠距離通勤のこのひとなんてどうしてるんやろ?

 もうひとつ厄介なのが「一人前だけ作る」こと。どんなおかず作ったって3日分くらい出来てしまう。日曜日にカレー作って1週間食べ続けたこともあったな。あと生鮮食料品が使い切れない。安売りにつられて買ったキャベツ1玉とか玉子1パックを何度腐らせてしまったことか・・。

 ちなみによく作るのは「鍋」。準備も後かたづけも楽ですからね。そのときの財政事情によってしゃぶしゃぶとか水だきとかのバリエーションも可能。日曜日はたいてい、どこぞのバクチ場へ出かけた帰りにスーパーへ寄るんですが、勝ったら"肉"、負けたら"野菜"。このパターンは夏場でも「勝ったら焼き肉、負けたら焼きソバ」という形で実行されます。

 わたしが他人に自慢できるのは炊飯器なしでご飯が炊けること。ふつうのお鍋とガスコンロでご飯を炊くんです。「♪は〜じめチョロチョロ、中パッパ」という唄があるが、これってガスコンロでは「はじめパッパで、中チョロチョロ」のほうがご飯は炊きやすい。1合未満の少量のお米を炊くんだったら、炊飯器よりガスコンロで炊いたほうがおいしいよ。でも、その唯一の自慢も、去年11月に引っ越しでガスコンロが電気のキッチンヒーターに変わって苦戦中。キッチンヒーターって不便やぞ。火力弱いし調節もやりにくい。ガスコンロほどおいしいご飯が炊けなくなってしまったなあ。

 今度勝ったら炊飯器買おう。


春よ来い 〜がんばれ受験生〜 1998/2/6

 今回は、わたしが高校3年生だったときのお話。

 わたしのクラスにS君というヤツがいた。一応、進学校の部類に入るらしい我が母校の中にあって、彼は正直言って落ちこぼれ。定期テストは欠点でなければ喜ぶ状態。そんな彼が共通一次(そういや私が高校生の頃は共通一次だったんだな)を受けると言い出したときは、クラスメイトたちもちょっと驚いたものだった。

 共通一次の翌日、クラスの話題は自己採点結果が中心なのだが、その会話の中へ彼が加わった。

「えっ? お前ホンマに共通一次受けとったんかいな(笑)」
「受けるだけは誰でも行けるさかいな(笑)」
「将来、トシ取ってからの話のタネか?」
「おう ホンマに話のタネやで。おもろかったで、俺の前の席に座ってたやつ。そいつたぶん浪人やと思うけどよ、社会の試験で選択科目にマークすんの忘れちゃあってよ。試験終わってから気ィついて、試験官の人に今からマークさせてくれて頼んだんやけど、あかんて言われてよ。そいつ、両手で机をバンて叩いてうずくまってんの。見ててケッサクやったで。そのあと、エライさんらしい人が来てまけてくれとったけどよ。」

 ずいぶん明るくトクトクとしゃべっている。彼の話は続く。

「その次の理科の試験でよ、そいつ早よ出来たあと、何回もマークシート見直してやんの。オレそれ見てもう1回笑った」

 楽しそうにしゃべるS君。そんなに試験の出来が良かったのか? 彼の結果を訊ねると

「わいか? 250点や。まあ、みんなには遠く及ばんけどよ(笑)」

 私が高3の時は5教科7科目で1000点満点だった時代である。「全問鉛筆コロガシても、それくらい取れへんか?」というツッコミをクラスメイト全員が口から飲み込んだ。

「よかったよ、I大の2部のボーダー220点は突破できたよ(笑)」

 教室には、担任の先生が各大学のボーダーラインなる受験資料を用意してくれていた。彼はそれを見て自分の結果に満足していたのだ。

 しかし、いくらなんでも220点/1000点で入れる大学があるわけがない。その資料をよく見ると、彼が目指す大学のボーダーラインは、傾斜配点で換算して400点満点中の220点。つまり元の1000点満点なら550点。そのとき、その場のみんなが彼の勘違いを悟った。

 でも、S君は楽しそうに試験中のエピソードを語り続ける。そのうれしそうな彼に、こんな残酷な事実を教えることは誰にも出来なかった。

 

 卒業式も済んだ3月半ば。合格発表を見に行く電車の中で、バッタリS君に会った。

「お、じゅんちゃん(←この時代からこう呼ばれてました)やんけ。どこ行くんよ」
「今日、発表なんや。実はもうあきらめてんやけどな(笑)」
「ほんまかいな、実はオレもなんや。まあ、オレんとこは2次は小論文だけやし、バッチリ書けたけどな」

 そのとき、わたしは彼の横に座っていた女の子と目が合った。彼女はペコッとわたしに会釈して見せた。

げっ、こいつ自分の(不)合格発表に彼女連れていく気かよ?

 彼は、楽しそうに学生生活の夢を語り始める。が、わたしはこれから30分くらい後に彼を襲うであろう不幸を思うと自責の念に駆られた。やっぱりあのとき教えるべきだった。

 

 実は、わたしがS君と会ったのはこれが最後である。あれから12年、彼は今どうしているのだろう。

 

 今年の受験シーズンもいよいよ大詰め、受験生のみなさん頑張って下さい。って、ウチのホームページは、そもそも学生生徒未成年はお断りが建前だけどね。

 ちなみに同窓会名簿によると、S君は高校卒業後、家業を継いだらしい。