「しかしこの競走は審議」一覧
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街の電器屋さん 1999/5/6

 今回は、わたしが学生時代、アルバイトで学習塾の講師をしていたときの生徒、M君の話。

 

 彼の自宅は電器屋さん。何度か彼のお母さんと電話でお話しさせていただく機会があったが、商売人らしく、それはそれはよくしゃべるお母さん。そしてM君も、遺伝なのか環境なのか、にぎやかなヤツだった。

 彼は学校の成績の方は・・・だったが、友人や後輩の面倒見はいいし、目上に対しての礼儀は守れるタイプと、わたしは評価していた。この学年の教え子達は、中学卒業後も何度か同窓会を企画してくれたのだが、その段取りを全部やってくれたのも彼だった。

 彼は高校卒業後、親の電器店を継ぐことになった。家電メーカーって系列小売店の経営者向け研修ってのがあるんだそうで、商品知識や修理の仕方から店の経理に至るまで、数週間にわたってカンヅメで経営のノウハウの指導を受けるんだそうだ。彼いわく「自分の一生の中でいちばん必死に勉強した」日々だったとか。

 

 ところで、このHPを見に来てくださってる方。あなたのパソコンどこで買いました? このHP見に来てくださってる方の間ではCSアンテナの普及率が高いように思うけど、どこで買いました? ほとんどの方は、いわゆる「量販店」で買ったんじゃないかな。そう、今、彼のような「街の電器屋さん」は苦戦を強いられている。

 量販店が店舗数を増やしている一方、地元の小さな電器屋さんは減少傾向。統計によると、従業員10人以下の家電小売店は1983年を境にピーク時の2割以上減ってるんだって。そういえばわたしの実家でも、わたしが小学生の頃は、電器屋のおじさんが我が家のポンコツ白黒テレビを修理しに来てくれていた記憶がある。今どき、テレビなんて映らなくなったら量販店で安いトコ探して買い換えますよね。

 

 電器屋さんに限らず、今、地元の小売店で買い物しませんよね。わたしの小学生だった頃には、酒屋さんとか牛乳屋さんとかが宅配してくれてたが、今は見かけないもんなあ。

 世間では環境問題がうるさく言われるようになって、家電製品もリサイクルが必要になってきている。また、高齢社会がすすんで、機能が複雑な家電製品を使いこなせない人だってきっと増えているはず。こんな時こそ「街の電器屋さん」の出番だと思うんだけどなあ。

 

 わたしが独り暮らしを始めるとき、テレビ・冷蔵庫・洗濯機といった身の回りの家電製品を彼の店で買いそろえた。引っ越しの手伝いはやってくれたが(というより、ほとんど彼が一人でやってくれたのだが)、あんまり値引きはしてくれへんかったなあ。おまけに、いろんなカタログを持ってきてセールスしよる(笑)。少し高く付いたが、電器屋の息子がすっかり電器屋の若だんなに成長していたのは嬉しかった。割高になってしまった分は、さんざん修理に呼びつけてモト取ってやるか。


短縮形 1999/3/31

 何年か前、関西国際空港が開港した年の流行語大賞(新語部門だったっけ?)「関空」が選ばれていた。選考理由が「なんでも言葉を縮めてしまうところがいかにも関西的だとか。言葉を短縮するのが関西的なのかどうかは知らんけど、今回は短縮言葉のお話。

 

 例えば「ヤブヘビ」なんて言葉は、元々ことわざとか慣用句だった言葉が短縮されて、名詞として定着した例ですよね。実はこの言葉の短縮のしかたって法則があって、4音節に短縮されるというのが原則になってるんです。例を挙げると

 棚からぼた餅 → たなボタ
 眉につばを付ける → まゆツバ
 パーソナルコンピューター → パソコン

てな具合。一度身の回りの言葉を思い浮かべて欲しい。中には

 ミスタードーナツ → ミスド

みたいに3音節にまで短縮される例外もあるんだけど、たいていの短縮形は4音節のハズ。

 

 芸能界でも短縮形は隆盛で、むしろ短縮形で呼ばれることが人気のバロメーターにすらなってますよね。

 MY LITTEL LOVER → マイラバ
 the brilliant green → ブリグリ

 ここでもやはり4音節。以前、ドリカム(これも4音節)の吉田美和が自分のことを「よしだみ」っと略して「1文字しか縮まってないぞ」とツッコミが入ったが、この4音節に短縮するという文法からいくと仕方ないんよ。

 

ちなみに、競輪界ではどうかと言うと、

 山口幸二 → ヤマコウ
 重大走行注意 → 重注
 ふるさとダービー → ふるダビ

ちゃんと文法を守ってますな。

 


さざれ石のひとりごと 1999/3/15

 今の国会で、日の丸と君が代を法律で決めておこういう話が持ち上がってるそうな。

 まあ国旗・国歌を法律で定めること自体は、世界のたいていの法治国家がやってることだし異論はないんだけど、「日の丸と君が代に決まって当然」って態度をとられるとちょっとなあ・・。いつまでたっても中国や韓国あたりに戦争責任を言われるのも、日本がこの問題に決着をつけていないからだし、ちょうど「ガイドライン法案」なんて、日本が戦争するための法律が国会で審議されている最中ってのもなんだか象徴的。というわけで今日は重いテーマに挑戦。

 

 「君が代」って、政治的・歴史的背景を一切ヌキにして、純粋に音楽的にみてヒジョーにデキの悪い曲。本来、作曲というのは詞の1音節に対して1つの音符を当てるのが原則。詞が先にあって後から曲を付ける場合は特にそう。この原則が守られてない。

 きーみーがーあー よーおーはー

 これでは間が抜ける。

 

 本来、日本語には言葉そのものに独自のリズムがある。たとえば七五調などがその例。演歌や童歌・学校唱歌には7音節や5音節で1フレーズとして作詞作曲されたものが多いのは、もともと日本語が持っているリズムを音楽に生かしているのだ。「君が代」も元の"歌詞"は短歌だから五七五七七のリズムを持っているのだが、

 こーけーのー むーうーすーうーまーあーあーでー

 

 これでは"日本語本来のリズム"はブチ壊し。母国語をないがしろにするような曲が「国歌」としてふさわしいワケがない。

 

 短歌には「字余り」というものがある。「君が代」も「さざれ石の」の部分が字余りである。だが字余りって、単に5文字や7文字に収まらないから字余りになるのではない。ちゃんと法則がある。

 

 結論から先に言えば、短歌には、句の2文字目以降に「あ」「い」「う」「お」の音があると字余りにするという法則がある。分かりやすい例を挙げると…

 田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

 百人一首に出てくる山部赤人の歌だが、「田子の浦に」「うち出でて見れば」が字余りである。これは山部赤人が勝手に字余りにしたのではない。「田子の浦に」には「う」、「うち出でて見れば」には「い」の音があるから、山部赤人は法則に従って字余りにしたのである。(注:「うち出でて見れば」の「う」は句の1文字目であるので対象外。字余りの法則、ご理解いただけるだろうか)

 実はこの場合、「う」や「い」はほとんど発音しないのが正しい読み方である。「田子の浦に」は「たごのらに」、「うち出でて見れば」は「うちでてみれば」と読む。競技カルタをやる人にとっては、基本的な知識だそうだ。つまり、山部赤人のこの歌も、声に出して読むときは五七五七七のリズムが守られるのだ。

 

 「君が代」に話を戻すと、「さざれ石の」は無意味に字余りになっているのではない。法則にしたがって字余りになっているのである。したがって「さざれ石の」は「さざれしの」と発音するのが正しい。つまり、これに曲をつける時に「さざれ石の」の「い」には音符を割り振ってはいけないのだ。なんてずさん酷い作曲なのだろう。

 

 じゃあ、替わりになる曲はあるのか? ということになるのだが、ワタシいい曲知ってますよ。ぜひ採用して欲しいけどなあ。

 

 

新・日本国国歌
六甲おろし

六甲颪に颯爽と     蒼天かける日輪の
青春の覇気うるわしく  輝く我が名ぞ阪神タイガース
オウ オウ オウ オウ 阪神タイガース
フレ フレ フレ フレー

 

 七五調でまとめられた格調高い詞に、詞の持つ躍動感を最大限に引き出したメロディー。純粋に音楽的にみてヒジョーにいい曲だ。

 しかもこの曲はすでに1000万人(推定)の国民に愛唱され、さらにこの歌をうたうことによって、ノルアドレナリンドーパミンが分泌され、明日への活力が湧いてくるというすごい力を持っている。まさに国歌とするにふさわしい。

 

 来るべき大阪オリンピックで、日本選手が金メダルに輝くたび、場内には「国歌」の大合唱が湧き起こり、黄色と黒の縞模様の旗が掲揚される・・。絶対盛り上がるんやけどなあ・・。


ごはん食べた? 1999/1/27

 「メシも喰わずにウラ喰った」てな、お約束のオチは出てこないのでそのつもりで。今日はお米の話。

 お米の銘柄といえば誰でも真っ先に思い浮かぶのが「コシヒカリ」「ササニシキ」。これが両横綱ですよね。ところでこの2つの銘柄のお米、食べたことあります? 「コシヒカリは食べてるけど、そういえばササニシキって食べたこと無いな」って方、多いんじゃないかな?

 

 今、ササニシキがピンチに立たされているんだって。

 

 コシヒカリに水を開けられるばかりか、「あきたこまち」とか「はえぬき」とか「きらら397」なんてところにも押されてシェアは減る一方。言われてみれば、スーパーではコシヒカリは売っていてもササニシキって見かけないもんなあ。

 

 実はササニシキって栽培が難しい品種なんだそうで、特に病気に弱いそうだ。いきおい、栽培には手間が掛かる。今どきの農村は、若いヤツがいなくなってジイさん・バアさんで農家をやってるもんだから、手間の掛かる品種は敬遠されるんやろな。

 全国的に見てもコシヒカリの方が圧倒的に優位にあるのだが、実はササニシキの地元・宮城県でも、今は「ひとめぼれ」の方が作付面積広いんだって。たとえて言えば、神山雄一郎に押され気味だった吉岡稔真が、とうとう九州でも横田努に抜かれてしまったような状態にあるわけ。

 

 最近、宮城県知事自らがササニシキのTVコマーシャル流してますよね

「今朝は何杯食べました?」
「わたしは3杯食べましたよ。あなたは?」
「わたしは1杯です」
「1杯だけでずいぶんエラそうに」
「どんぶりですけど」

 こんなCM作るくらい、農業関係者も危機感もってるんやろね。

 

 最近は、お米の水加減を知らんとか、お米を台所洗剤で洗う人までおるとか。主食のハズのお米をTVコマーシャルしなきゃいけないくらい、日本人の米離れってすすんでるんやなあ。そういう自分も今朝はパンだったけど。

 

業務連絡
 涙の車券の荒吐さま。先日は本場・宮城のササニシキをどうもありがとうございました。おいしくいただいてます。
(貰ったの1ヶ月も前やぞ。もっと早くお礼しろよな>じぶん)


初登場第1位 1998/12/9

 いつ頃からかなあ。歌謡曲のヒットチャートでこれが当たり前になったのは。

 

 わたしが中学・高校生だった頃、深夜ラジオはよく聴いていた。わたしの同級生の間では「MBSヤングタウン」派が多かったようだが、わたしは「ABCヤングリクエスト」(関西限定の話ですみません)。「ヤンタン」はタレントの喋りが中心の番組だったが、「ヤンリク」は局アナDJがヒット曲を流すのが中心。ラジカセでエアチェックして、自分で最新ヒット曲のオムニバステープを作ったりしたものだった。

 その頃、新曲が出るのは、アイドル歌手の場合で3ヶ月に1曲くらいのペース。新曲が出るまでは前の曲がヒットチャートに残っていたので、大抵の曲は歌詞を覚えるまでラジオから流れてきた。今となっては懐メロだが、たまにテレビ・ラジオから流れてくると、これがけっこう今でも歌詞を覚えてるんだな。

 

 いつの頃からか、ヒット曲の寿命が短くなり、ヒットチャートの入れ替わりが激しくなった。ヒットチャートの1位は大半が初登場第1位。そしてすぐ消える。こんなにサイクルが短くて、今のヒット曲は10年後に懐メロになるんだろうか? 以前は「●週連続第1位」ってのが結構あったように思うが、今では2週連続すら珍しい。

 最近、新曲の連続リリースってのをやるアーチストが増えているが、これって1曲では1週間しか持たないので、そのぶん新曲を続けて出すことで「●週連続」を狙ってるわけだよなあ。それでもなかなか思惑通りにはいかないらしい。この秋には、globeが「wanna Be A Dreammaker」以下4週連続新曲リリースをやったものの、4曲目の「perfume of love」「snow drop」(L'Arc〜en〜Ciel)に1位を阻まれ不発。その L'Arc〜en〜Ciel も、この夏に「HONEY」「花葬」「浸食」の3曲同時リリースでチャート独占を狙って「HOME」(B'z)に阻まれたのだが。

 

 ちなみに今年、初登場以来じわじわとチャートを上昇して1位になったのは、「長い間」(Kiroro)「There will be love there<愛のある場所>」(the brilliant green)の2曲。このうち Kiroro は、初めて聴いたとき「確かにいい曲だけど、いかにも1発屋で終わりそう」と思ったのだが、その後2曲目・3曲目とキチンとヒットを出してきた。彼女たちの曲は10年後にはちゃんと懐メロになっていそうなレベル。今後に期待しようと思う。

 

 さて今回のふるダビ、新人王を除けば初めての大きなレースの決勝でいきなり勝った小倉竜二(徳島77)。まさしく初登場第1位。「児玉さんみたいになりたい」そうだが、ぜひ強くなって「安心して車券が買える」選手になって欲しい。くれぐれも1発屋で終わらないように。