「しかしこの競走は審議」一覧
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病院へ行こう 2002/7/4

 それは何の前ぶれもなく、突然やってきた。

 自分の胸に、かつて経験したことのない痛みを感じたのは、朝9時半くらいだったと思う。職場でその日の仕事を始めたばかりの時だ。
 はじめはスジでも違えたかと思って、しばらくその場でじっとしていたのだが、どうも痛みが収まる様子がない。胸が締め付けられるようなカンジ。確かに年がら年中心臓にダメージを与えてるから、左胸なら思い当たるフシはあるのだが、痛いのは右胸だ。何だろう? 考えている間にも、ますます痛みは増幅していく。全身から冷や汗が出てくるのが分かる。こらアカン。そのまま病院までクルマで運んでもらった。

 かつぎ込まれた病院で、問診・聴診・心電図・レントゲンまで行ったところで、病名が確定した。即、入院が宣告され、パジャマに着替えさせられる。奥の方では看護師さんたちが病室やら担当者やらの段取りをしているらしい。「あれ○○ちゃんは?」「○○ちゃん、今日はもう交替で帰りました」「あらー、残念。カワイイ子やのに」・・・ 今となっては非常に残念だが、この時点ではそんなことはどうでもいい状態に陥っている。

 

 何らかの原因でヒトの肺に穴が空いてしまうことがある。穴が空くと、当然、肺から空気が漏れだしてしまうのだが、肺の外側は横隔膜とかで密封されているので漏れだした空気はどんどん体の中に溜まってしまう。すると肺が漏れた空気によってどんどん圧迫されて、呼吸ができなくなってしまう。これを「気胸」という(と言っても、ワタシの医学の知識なんぞ、せいぜい手塚治虫の「ブラックジャック」で読んだレベルなんだが)。ちなみにこの病気はやせてる人に多く、体脂肪の多い人には少ないんだそうな。

 で、わたしを担当(と、いっても3交替勤務の日中だけだが)してくれたのは、学校卒業してまだ何年もたってないと思われる若い看護師さん。"一生懸命にやってます"っというカンジが初々しくて好感。こっちの方が好み。でも看護師さんの初々しさと採血や点滴の腕前は当然に反比例。イテテ。がんばって上手くなってね。

 

 治療は、まず体の中にたまった空気を抜いて縮んだ肺を膨らませること。肺に空いた穴については、自然治癒でふさがることもあるが、ふさがらなければ手術が必要。さっそく右胸に空気を抜くためのチューブが挿入される。チューブはいったん黄色い液体の入ったケースにつながれ、そのケースがポンプにつながっている。熱帯魚の水槽に入れる酸素ポンプのような音を立てて、黄色い液体の中をブクブクと泡が通り抜けていく。この泡って全部、自分の体の中に溜まってた空気? すごいいっぱい出てくるやん。

 この時点での症状は、とにかく痛い。2つあるハズの肺が片方しか機能していない状態なので、息苦しいとかの症状もあるらしいのだが、幸い、左胸だけでも充分呼吸が出来てるのか息苦しさは感じないし、血中酸素濃度も正常値。ただ、右の肺全体が腫れあがってようなカンジで息を吸い込むだけで痛い。鎮痛剤はくれたが全然追いつかない。おまけにチューブという異物が体内に入れられているせいか、体温が38度くらいまで上がる。チューブにつながれ身動きもままならないので、看護師さんに座薬を入れてもらう。アナルバージンをあっさり奪われた。

 一般病棟に空きベッドが無いらしく、救急病棟にそのまま入れられる。ここは基本的に重症患者用だから、看護師さんは手厚いのだが、時間をやり過ごすための道具は何もない。せめてテレビがあれば、ヒマも痛みもやり過ごせるのだが。ここでイタかったのは時計がないこと。普段は携帯電話を懐中時計替わりに使っていたのだ。病院内はもちろん携帯電話の電源を切らされる。夕方は、仕事帰りの同僚や上司が見舞いに来てくれたが、それ以外の時間は「痛い」の言葉だけがアタマの中をリフレインする。

 

 最初の2日は、救急病棟で悶々と過ごすハメになったが、3日目に一般病棟の個室が空いた。金はかかるが、まあ、生命保険はあるし使っちゃえ。車椅子に乗せられて、部屋を替えてもらう。
 いやあ、やっぱ個室は有り難いなあ。結構広いし、5階だから窓からの眺めもいいし、もちろんテレビや冷蔵庫も備え付けられている。3食昼寝付きで1日6千円なら極楽やんか。これでスピードチャンネルが映れば言うこと無いが、そこまで揃うと社会復帰できなくなりそうやな。
 幸い、病院の事務局にワタシの悪友がいて、毎朝スポーツ紙を差し入れてくれる。ちょうど今日から松阪ふるダビの初日。ただ、体はチューブにつながれたままなので、公衆電話があるロビーまで行けないし、携帯電話は使用禁止。電投は出来ないなあ・・っと思いながらサンテレビの中継を見てたら、マエタクが松岡を自力で捲って4マンシュー。いやあ、買えなくて本当に良かった。

 世間一般にはよく病院の食事はまずいと言われるが、全然そんなこと無かった。旨いやんか。確かに薄味なのは事実だが、もともと自分が薄味の方が好みだし。ワタシの苦手な魚も出てくるのは仕方なかったが、まあ煮魚ならなんとか我慢できる範囲だし、まさかエビフライや焼きガニが出てくる心配はない。まずいなんていうヤツは、普段、相当塩分摂りすぎやで。体に悪いで。・・って、病人の自分が言ってもなんの説得力もないが。

 

 チューブは5日目の朝ハズされた。少し楽になる。元々の胸の痛みに加え、その痛みを堪えようと筋肉にずっと力が掛かっていたのか、右肩の筋肉が激しく痛んだ。まだ体を動かすとかなり痛いが、それでもトイレへ行くのも大騒動だったのに比べたらだいぶマシ・・と思っていたら、重症患者があふれたので大部屋に替わってくれと言う。そりゃまあ、ここまで経過が順調なのは有り難いけどさ。
 今度の部屋は、自分の他は70歳くらいのおじいさんが2人。1人はワタシと同じ様な病気でこちらは開胸手術までしたらしい。親切な方だったが、なかなか豪快ないびきをかいてくれる。もう1人は肺炎。昼夜を問わず痛いと呻くし、看護師さんの言うことは聞かないしで、少し痴呆が入ってるのか? 寝られやしない。看護師さんは「ここが一番静かな部屋」と言ってるのだが・・。

 主治医の先生はワタシと似たような年齢かな? 顔は物まねのコロッケに似ている。声が高いので、隣の部屋にいても全部話し声が聞こえる。1週間の入院中、結局毎日このヒト見たぞ。ご苦労様やなあ。職場に休暇を出すのに診断書を書いてもらった。20日間の診断。それだけも休めと言われるとかえって困ってしまうのが、ニッポンのサラリーマンの哀しい性。ちなみに診断書の字はトンでもなく汚い
 コロッケのおかげで経過は順調。6日目に撮ったレントゲンで退院のOKが出る。退院といっても、手術をしなくても大丈夫というだけで大人しくしてなきゃいけないのだが、やっぱり開胸手術はイヤだわなあ。ブラックジャックに言わせると「簡単な手術」らしいけどさ・・。

 ちょうど1週間でシャバに出てきた。当分、自宅療養なんだけどね。なにしろ、この病気は確率4割で再発するらしい。イチローの打率より高いやんけ。「気を付けるように」ったって、そもそも、いつ何が原因で肺に穴が空いたか医者にも分からんのに、どう気を付けたらいいんじゃ?

 

 お見舞いのメールを下さった皆様、どうもありがとうございました。おかげさまで快方に向かっております。ギャンブル依存症の方はちっとも治ってないので、また、よろしければ連係してやってくださいませ。ただ、再発しちゃイヤなので当分遠征は控えます。次は前橋でお会いしましょうってなメールは送りつけないで下さい。ちなみに、親王牌は岸和田場外でも3連単が買えるらしいっす。


病院へ行こう(パート2) 2002/8/31

 「アカン、また気胸になってるで」

 定期検査のつもりで行った外来病棟で、医者にそう宣告された。「こんな早よ再発するようやったら、覚悟決めて手術した方がええですわ」と追い打ちをかけられる。

 前回と違って本人にあまり自覚症状はない。今日は午前中だけ休みもらって通院した後、昼から出勤するつもりだったのだ。「まっずいなあ」。ミスチルの櫻井と同じセリフが脳裏をよぎる。実は締め切りに迫られている仕事を抱えているのだ。いや正直言うと、明日から岸和田でS級シリーズなのにってのもあったのだが・・。

 

 いったん自宅へ着替えを取りに戻った後、ふたたび病院へ向かう。今度は入院病棟へ連れて行かれる。前回の入院から2ヶ月弱。看護師さん達の中には、わたしを覚えていてくれた人もいた。「あら、もう帰ってきたの。前回はいつ頃やったっけ?」 危うく「松阪ふるダビやってた頃」と言いそうになったのを「ワールドカップやってた頃」と返事した。

 前回と同じく、今回も胸にチューブをつながれるらしい(ちなみに胸腔ドレナージというんだそうな)。前回、わたしを担当した"コロッケ"監督の元、その後輩とおぼしき医師が処置してくれたのだが、後輩の作業の一つ一つにコロッケの指示が出る。この後輩、この処置をやるのは今日が初めてなんじゃ?・・ そりゃ、まあ誰だって最初は「初めて」だけどさあ・・。

 2回目だから経験があるといっても痛いもんは痛い。前回と違って病気そのものにほとんど自覚症状はないので比較的元気に過ごせるのだが、入れられたチューブが痛いのだ。病気そのものより治療の方が痛いってのは納得いかない気分。

 

 今回は手術と決まったので、それに向けてのオリエンテーションを受ける。手術の内容が、肺に空いた穴をふさぐのではなく、穴が空くような弱い部分を切り取ってしまうものであること。大半は内視鏡で出来る手術だが、内視鏡で手に負えないようなら開胸手術に移行すること。手術を受けたときのリスク、受けなかったときのリスクの説明を受ける。リスクを確率で説明されるとヒジョーに理解が早いのは、バクチ好きのせいやろか?

 しかし今時の病院って、患者にいっぱいサインさせるのよねえ。手術や輸血の同意書やら、治療内容の説明を受けた証明書やら、摘出した臓器の研究機関への使用承諾書やら・・。インフォームド・コンセントとか、患者が治療方法を選択するとかが大事かも知らんけど、「よきに計らってくれ」って選択肢はもう無くなったんかねえ・・。

 

 さて、手術当日は朝から絶飲食。胃袋にモノが入ってると、全身麻酔したときに食道を逆流して気管に詰まる恐れがあるんだと。1日3食ぜ〜んぶ点滴。水もダメってのはチトつらい。朝からサッサと始めてもらえれば良かったのだが、当日は2人目ということで昼過ぎまで順番を待たされる。
 予定より1時間ほど遅れて手術室へ。といっても、まだ手術の前室。ここで病衣を脱がされてタオルケット1枚にされる。パンツも脱がされているので落ち着かない。前室から手術室までの廊下がやたらと長くて緊張させられる。酸素マスクをあてがわれて白く霧状の気体を嗅がされる。全身麻酔。1,2度むせて咳き込んだが、そこから先は記憶が途切れる。

 手術室から出てくるところなど、断片的に覚えている部分があるのだが、いつの間にやら病室に戻っていたという感じ。時計を見ると夕方5時半。手術が始まったのが1時だから、その間の記憶がない状態。顔には酸素マスク、腕には点滴、そして下半身には尿を排出する管がつながっている。大量に点滴を受けているせいか、尿はほとんど垂れ流しの状態らしい。
 麻酔が切れると当然痛い。手術の痕はそれほどでもないのだが、その手術痕を覆うガーゼとテープに締め付けられるのが痛む。もっと痛いのが咳がでたとき。のどの奥に痰が絡むので咳で出したいのだが、咳をすると激痛が走る。
 看護師さんに手術の概要をきかせてもらった。結局、内視鏡ではうまくいかず開胸手術になったらしい。右の脇の下から脇腹にかけてを20センチほど切られている。内視鏡より少なくとも1週間は社会復帰が遅れるらしい。

 下半身につながれていた尿の管は、手術の翌日ハズされた。処置してくれるのは看護師さん、もちろん女性。かなり恥ずかしい。ここで勃起でもしたらもっと恥ずかしいところだが、幸か不幸かこの時点ではそんな体力は無かった。

 手術の翌日といえば、ちょうどふるさとダービー弥彦の初日。スポーツ紙を差し入れてもらう。村上の番手が小橋? 何じゃそりゃ? だが、ちゃんと予想が出来ない。あまり物事を考えられなくなってるのだ。こりゃイカン、おとなしくしよ。

 それ以降は、ひたすら抗生物質を入れられる日々。微熱は続くが、胸につながれたチューブは術後2日目でハズされたので比較的自由に動けるようになった。だが、厄介なのはベッドから起きあがる時とベッドに横になるときが痛くて、自力で寝起きが出来ないのだ。パラマウントベッドのありがたみが初めて分かる。確かにこれは便利だわ。点滴とレントゲン以外は用事がないのでヒマだが、うかつにTV見て、お笑い番組で笑ってしまうと手術痕がメチャクチャ痛い。

 

 結局、手術痕の抜糸して退院となった時には手術から1週間以上経っていた。胸腔ドレナージ痕にはまだ糸が入っているんだけどね。半月ぶりに外へ出た。岸和田の街はすっかりだんじりモードに入っていた。

 

 ・・・パート3は、もう書きたく無いなあ。